人生どん底時代が阪神間だったから 頑張れた

Yummy

2022年01月16日 07:31


高山なおみさんの神戸だより見ながら
”ああ〜、阪神間に住んでよかった〜。
やっぱり、私が生涯住みたい街は阪神間なのだということ
あらためて気づきました。
阪神間とは
神戸、芦屋、西宮、伊丹、宝塚、尼崎などを指し
この地域はとても住みやすく
また学校のレベルも高く
転勤族の人も多く住む地域でもあります。
大阪の会社で働き、
住むのは阪神間というのは
昭和の初期からあたり前のように行われていました。
また、富裕層が多く住む地域でもあります。
六甲山と海の間は約3キロ
そんな距離しかなく
平地は限りなく少なく
山間にもびっしりと家が建っているんですが
多分、1戸1戸の家が大きかったり
素敵なデザインのものが多いせいか
それが不思議と窮屈な感じがしないのです。
あと、六甲山が大きいせいもあるのかな?
六甲山の懐と神戸の海に抱かれた阪神間は
ほんに住み良いところです。
今は仕事場が
避暑地のようなところにあるので
そこで十分満たされているので
ハーブ園にも行かなくなりましたが
以前のところは
コンクリー打ちっぱなしの建物だったので
パソコン仕事など続くと
疲労が激しくなり
しゅっちゅう、ハーブ園に出かけていました。
ハーブ園も六甲山の一部にあって
でも、すぐに行けちゃうんです。
なにしろ都市部と山が
信じられないくらい近いから!!
保久良神社もそう。
六甲山の一部にあるんです。
今、気がついた!!
前の場所で仕事していた時は
ものすごく出張が多くて
あまりその建物にいなかった。
今の場所はコロナというのもありますが
ほぼほぼ365日いる!!
あっ、私前の仕事場好き!って思ってたけど
実はそうじゃなかったんだ!!
だから、お出かけして不在が多かったんだ!!
人って正直ですね。
好きなところは
理由なくずっといる。

阪神間に住んで今年で32年目。
京都に戻るチャンスは2度あったけど
土壇場でキャンセルしたのは
やっぱり阪神間から離れ難かったから。
あの時、京都の物件購入していたら
きっと、この空前の京都ブームで
今の住まいなんかより
ずっと財産になっていたでしょうが
キャンセルしたこと全然後悔してません。
むしろ、今の場所に住んで
毎朝、ベランダで
その日朝一番の新鮮なお日様に出会えたり
広い空を手に入れることができたし
それからひとも!!
ひとが優しい、助けてくれるひとに恵まれました。
面倒見の多いひとが多いせいかもしれない。
今の場所で良かったと
さいきん、しみじみ思います。

結局、私が好きだった京都は
もう私の記憶の中にしかなく
私が京都にこだわっていたのは
世界に通じる
ブランドとしての京都だったわけで
本当に今好きな街は阪神間。
でも、これは京都に住んでいた時からそうでした。
ことあるたびに、神戸や阪神間に出かけていました。
京都から神戸に行くと
海が見えて
それだけでテンション上がりました
で、ずっと京都に住み続けるんだろうな〜と思い込んでいた私が
ひょんなことから阪神間に住むことになり
(私、ひょんなことからが多いな
タロットの仕事もそうだったし。
ひょんなことから人生が変わる人なんだな私は)
寝たきりの祖母がいたから
京都での里帰り出産は無理で
神戸で子供を産んで
宝塚で子育て
西宮に仕事場
これだけ書いても
私がどんだけ京都より阪神間に縁があるのかよくわかる
人生どん底時代が阪神間だったから
頑張れたし
這い上がれたと私は思っています。
暖かいひとが多いんです。
金銭的な援助は一切なかったけれど
困っている時に
そっと手を差し伸べてくれる人は多かったです。
それは言葉であったり、
子供を預かってくれていたママ友だったり
チャンスをくれたカフェのオーナーだったりと
困っている人を見放さないひとが多いということ
どん底時代、体験的に知りました。
だから、やさぐれずに諦めずに這い上がれたんだと思います。
なんで、そんなに親切なのか?
それはひとえに
みんな、それぞれひとには言えない
経験しているひとが多いせいなのかもしれません。
結構、みなさん苦労なさってきた過去お持ちです。
お金あるから幸せってことないんです。
そんな経験なさっているから
ひとに優しいのかもしれません。
今日のクラブハウスでは
そんな阪神間の魅力について語ります。
お楽しみに〜!!





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