2022年03月02日
どのような状況であれ、私は犠牲者にはならない
20年前
私は心に誓ったことがあります。
それは
”どのような状況であれ
私は犠牲者にはならない。”ということです。
20年前に我が家を襲った突発的な出来事は
それまでの穏やかだった家庭を木っ端微塵にしました。
その時の私の悲しみと憤りは凄まじく
”絶対許さない!!”という憎しみで
心は荒れ狂いました。
ただ、時間と共に
熱り覚めた時
私は今後の人生で
犠牲者にはならないことを選びました。
それはどういうことかというと
私が捕虜になって捕まったとしても
事故に遭って怪我をしても
信頼している人に騙されたとしても
私は犠牲者の道を選ばないということです。
そんな私を見て他人が可哀想な犠牲者と思ったとしても
私は自分のことを犠牲者とは思わない。
私が何かの犠牲者と自分のことを思った時点で
私は犠牲者になってしまう。
そんなこと絶対に私は許さない!!
私が自分のことを犠牲者と思わない限り
私は犠牲になったことなど存在しないのだと
私は思っています。
なぜこんな考えに至ったかというと
家族の突然の退職がきっかけで
経済危機が起こりました。
退職のきっかけは会社のパワハラと過剰労働でした。
当時はパワハラや過剰労働に対する社会の認識も甘く
泣き寝入りが多かったのです。
そんな会社に対する怒りは
家族より私の方が凄まじく
”今後一切、私は犠牲者にはならないし
家族の誰1人犠牲者にはならさない!!”と心に誓ったのです。
以来、私は犠牲者になる生き方はしておりません。
理不尽な我慢を強いられる時は
きちんと態度に表明しています。
そして、どんなに辛い状況であっても
私はそれを行うときは
フラットな気持ちを心がけています。
自分を犠牲者認定したら
尊大な相手にますます力を与えてしまうことを知っているので
私は絶対に犠牲者としての生き方を選ばないのです。
こんな頑なな生き方は非常に孤独だし
誤解を受けることもあります。
しかし、私にとって犠牲者で生きることの方が
自分の尊厳を著しく傷つけることになるので
孤独を受け入れて生きています。
写真はやどりき。
星印の上がそれです。
ロンダの目の前に
大きなヤドリギがあることを
昨日、発見したのです。
昨日はいつになく
ここ数日のウクライナの情勢に
心沈んでいたのですが
そんな私の気持ちを察したように
突然ヤドリギが出現したのです!!
それ見た途端
沈んでいた心に
”大丈夫だよ”というメッセージをもらったみたいで
”まだまだ、頑張らなくちゃ!!”と気持ちが上がったのです。
ロンダにお越しの際は
どうぞ店内からご覧くださいませ!
食の世界もアップデート凄まじいです
Posted by Yummy at 09:46
│ひとりごと